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あれこれ

善人と触れ合ったときに発生する自己嫌悪について

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中島義道の書くことに激しく同意してしまうことがとても悔しい。私は「人間嫌い」にはなりたくないのだ。そうやって自らをラベリングすることで、枠にはめてしまう気がする。自分は思い込みがはげしいので特に。と警戒しつつも、人間関係に関する憂鬱は彼の本を読むと癒される。

他人に対する共感は、自他に対する誠実さを大切にする人間嫌いにとって、難題中の難題である。共感すべきであることはわかるが、自分が事実共感していないとき、自分の感受性をごまかすことができない。だが、その結果、他人を傷つけ、不快にさせ、その場の空気を濁らせる。それでもなんともない人は、人間嫌いではない。ただの変人である。正しい人間嫌いは、そのことに心の底から悩む。だからこそ、人間嫌いはそういう場面をなるべく回避しようとしてひとりでいようとするのである。(中略)

人間嫌いといえども、このすべてを頭では理解できる。だが、誠実さに対する神経が異常に発達しているので、こういう共感ゲームにコミットすることが無性に不愉快なのである。こうした自己嫌悪を避ける唯一の道は、世間の善人集団から距離をとることであるが、それは世間から距離をとることにほかならない。つまり、なるべく人と付き合わないことにほかならない。

「人間嫌い」のルール (PHP新書)

「いい人」や「常識人」と触れ合ったときに自然と生じる「強烈な自己嫌悪」の発生源はここにあると思う。

心の奥底から共感できないのに、共感しているフリをすると自己嫌悪が発生する:「なぜ私は共感できないのか?共感できるフリをするのは不誠実じゃないか?」でもだからといって、心に誠実に行動しても相手を傷つけ不快にさせてしまう:「なぜ私は誠実でいるだけで相手を傷つけてしまうのか?」。こんなことを考えることもなく息をするように「共感」ができてそれが当然だと思っている「善人」や「常識人」と触れあうたびに、自分の自己嫌悪が膨れ上がるのだ。「私はなぜ単純に共感できないんだ!?」いちいち考えすぎだと突っ込んではいけない、これはすべて自然発生する思考回路であり、私は普段これがポップアップするたびに脳内のトピックを変えることに全力を注いではいる。切実な悩みである。

これを「直そう(治そう?)」とする必要はない。多くの場合、「直る」ことは不可能である。可能かもしれないが、その場合は恐ろしく厳しく、しかも虚しい人生が待ち構えている。ホモセクシャルの男がヘテロセクシャルの男を演じ続けるように、在日の男がほんとうの(?)日本人を演じ続けるように、犯罪者が犯行を隠して逃亡し続けるように、人生の一瞬一瞬おさまりが悪く、くたびれ果て、不安を覚える。何より、自分が自分に対して「誠実ではない」という自己嫌悪感に充たされる。

この例えが適切なのかは疑問だが(もはやそんなこと気にしないのだろうか)、いいたいことはすごくわかる…そして直すことが不可能だと言われるのは逆に安心する。自分が物心ついた頃から悩んでいるこの心の矛盾は「直すべき性格」というわけではない。考えるべきは「どうやってそれと共に生きるか」なのだ。

こうしてまで人間嫌いを直す必要はない。豊かで充実した、さらに自由で納得した人生を送ろうとするなら、直す必要はさらさらないのである。だが、その場合、いたるところから偏見の波が押し寄せてくるので、生きていくためにさしあたり重要なことは、人間嫌いに見合った仕事を見つけることである。(中略)その典型は(職人を含めた)芸術家であろう。

私はところどころ中島義道が書いたことに心の底から全力で同意することは結構たくさんあるが(「善人ほど悪い奴はいない」とかも*1)、でも彼の言う「自分と気が合わない一般人」というのはきっと世の中のわりと一部の人たちだと思っている。「人間嫌い」な自分と、「常識人・一般人」なその他大勢で世界をふたつに分けてしまうと、まるで世界と戦ってるような気持ちになっちゃうけど、人間はそんな単純に分類できるものじゃない…と思いたい。人間関係がうまくいかない人は脳のワイヤリングやレセプターがちょっと違って、たとえば自閉症スペクトラム的なのかもしれないし、発達障害も入ってるのかもしれないし、MBTI でいう NT 型なのかもしれないし(私は INTP である)、気が合わない人はいるけど気が合う人だってそれなりにいるはずだ…と思いたい。

自分と気の合わない「いわゆる善人」が沢山いるからといって、それを「人間嫌い」に一般化するのは、多少逆ギレ的・思考停止的・自己正当化的な感じがするのが個人的にはすこし嫌である。私はまだギリギリ「人間好き」にしがみついていたい…と言ったらこの善人めと嫌われるのかしら。

ちなみに舞城王太郎のかく本もこの辺の自己矛盾や混乱と戦う本が多い、と私は勝手に思っていて、特にビッチマグネットは上記に書いたような「真摯」「誠実」「自分の本心(って何?)」「自己嫌悪」「善と悪と正義」らへんをうだうだ考えたのち最終的に「人間は骨でそこに物語をまとってく!」「でもその物語は捏造の可能性だってあるのよ!」と満足するという話、だと思っている。

ビッチマグネット (新潮文庫)

ビッチマグネット (新潮文庫)

でも何より癒されるのは中島義道に共感したり癒される人が相当数いるっぽいということだよな〜。すばらしい。

*1:ちなみに親鸞の「善人なほもて往生す、いはんや悪人をや」もそれだとおもっている